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ナオミ物語 第1章 日活以前

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谷 ナオミ、本名:福田 明美 生年月日:昭和23年10月20日生まれ。福岡県福岡

市出身。18歳で上京。東京に出て来て、いくつかの職業を転々として、ヌード

モデルのインチキプロダクションに、九州を出る時に持ってきた50万円の虎の

を騙しとられ、せっぱつまってピンク映画のプロダクションに入ったと、いう

のが定説となっている。週刊大衆に写真が掲載されたことが映画出演

言われている。谷ナオミのインタビューによると「大きな映画会社で端役を

やりながら、いつか主演を・・と考えるより、ピンク映画で主役をやった方

が、私の性格に合っていると考え」、ピンク映画入りをしたとのこと。

 デビュー作は1967年4月、国映配給の「スペシャル」。芸名の谷は、谷崎

潤一郎からナオミは同氏の作品「痴人の愛」に由来しているのは周知の事実

である。『谷』は乳房の谷間にも通じる、という指摘もある。 谷の初期の

映画は、1960年代の大規模なスタジオシステムとは無関係な中小企業で作ら

れた。このピンク映画時代?日活に入る前のキャリアの中で、様々な役割

に挑戦した

が、彼女をスターにさせたのはS&Mジャンル映画であった。彼女のデビュー

映画だった、「スペシャル」 は新日本映画社製作、多数のピンク映画を監督

したことで有名な関 浩二監督作品だった。この作品で温泉地でをだますそう

とする闇商人の愛人の役を演じた。谷のS&M フィルム出演は「続悪徳医 

女医篇(日本シネマ)」と題するオムニバス映画の一挿話であり、

何度も逃亡してついにヤクザにとらえられ拷問される娼婦役を演じた。谷は他

の作品でも同様の役柄を演じることになる。同年作成された渡辺 護監督の奴隷

未亡人(Slave Widow)は、事業に失敗した夫が自殺をしてしまい、未亡人となっ

たヒロインが残る負債を返済するためにある裕福なビジネスマンの性的な奴隷と

なる…といった筋立てで,谷は辰巳典子、野上正義という当時のスターの脇役

として出演して監督に認められ、次のBed of Violent Desires (1967).では

はじめての主役を務めた。この作品は典型的な怪奇ピンク映画であり、金の

ために父を殺され、母親とその恋人にむごたらしい復讐をする娘、というの

が谷の役どころだった。 

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彼女のキャリア初期段階では、ピンク映画 プロデューサー兼ディレクターである

若松孝二の独立スタジオでの仕事も多く、多作で有名な山本真也監督作品にも出演

している。このころ、高校の英語教師をしながら密かにSM小説や映画の映画の脚本

を書いていた鬼六氏と知り合いになった。当時のエピソードで、吊された彼女が

水の中に落とされる撮影時、高熱を出していたにも関わらず「もう一回やらせて

ください」と進言。次のテイクでは、水に落とされ顔を出した途端に予め口に含ん

でおいた水をパァーっと吹き出したのである。山本晋也監督は、事ある毎に

「あれは化け物だよ」と語っている。(みうらじゅん監修「永遠のSM女優・

谷ナオミ」より)それまでに200本を越えるピンク映画(残念ながらその大半が

ジャンクされて今では観る事は叶わない)に出演してきたカリスマ女優を大手

成人映画会社である日活が黙って見ているはずがなかった。

ナオミ物語 第2章 花と蛇以前

1960年代を通じて、ソフトコアポルノである「ピンク映画」は中小、

独立系のスタジオで制作されていた。 1971年には、日活が、その高

予算と品質のロマンポルノ"シリーで、"ピンク映画"市場に参入して

いた。1968年日活の最初の実験的ピンク映画で多数のスターが出演した

(おんな浮世絵風呂)を除けば、谷の公式な日活 ロマンポルノ の出演

はしなやかな獣たち(1972)の看護師のようにマイナーな役割だった。

彼女は日活映画で補助的な役割を果たすより、以前として小さなスタ

ジオの低予算映画で主演を勤めることを優先したのだった。谷の「かわい

らしい顔、美しい肌...そして96センチメートル(38")の巨乳だけでなく、

女優としての能力は、1960年代後半の彼女の人気女優になった。女浮世

風呂(1968/7/10公開 きよ役)、徳川女系図(おきぬ役)などもこのころ

の作品である。

この様にキャリアの初期段階であっても、低予算の独立

スタジオの仕事でも、谷はすでに「ピンク映画の女王」であり、 日本では

官能的映画女優代表として、1968年12月発行の米国プレイボーイ誌にも登場

した1972年、彼女は、団鬼六作品の2つの映画監督を務め(性の殺し屋 ほか)

「私は、拷問と緊縛のシーンに集中するようになった。」とのべた。

日活が谷に映画主演を提示しても、谷は提示してきた企画のどれもが「自分

じゃなくてもできる役」という事から決して首を縦には振らず、日活がSM

シーンの導入に消極的なことを理由にそれを拒み続けた。SMを演じることが

自分の使命だとさえ考えるようになった谷が最終的に出した条件は

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「団鬼六の作品ならば…」だった。小沼勝監督はプロデューサーら4人で団

鬼六の自宅を訪ねた。応接室で折衝をしていたところ突然停電となり、そこ

へ蝋燭を持った和服姿の谷ナオミが現れて「いらっしゃいませ」と挨拶した

という。

ナオミ物語 第3章 花と蛇?生贄夫人

ついに日活が同意して、小沼 丹監督のもとで「花と蛇」が映画化された
1974年、同作品は空前のヒットとなり、以後1970?80年代を通じて、SM作品
はロマンポルノの柱の一つとなったのだった。
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次の日活主演映画、 生贄夫人 (1974年)も、小沼監督作品であったが、
しかし、彼女の他の日活作品とは異なり、これは団鬼六の小説に基づいて
いない。花と蛇にも増して大ヒットになった この作品は日活ロマンポルノ
全作品中でも5指に入る興行成績を記録している。
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谷の女性共演者として東てる美が共演している点も注目される。、彼女はこの

作品が実質的なデビュー作で、その上当時は現役の高校生であり、瑞々しい

演技と早熟な感性、そして美しい裸体をたっぷりと見せてくれた。「責め」

ではなんといっても彼女への浣腸シーンが必見であり 脂汗を流しての嫌がり

と悶えが強烈凄まじく刺激的な演出が話題となった。

テーマ : SM
ジャンル : アダルト

ナオミ物語 第4章 多彩な作品

小沼に加えて、谷は多くの監督の許でロマンポルノ作品に出演している。

『犯す』でメガホンをとった長谷部安春監督は「私は、彼女とは一度しか

一緒に仕事ができなかったことを残念に思っている。『犯す』で男性に

温室で犯される役を演じてもらったのだが、非常に短いシーンにもかか

わらず、圧倒的な存在感があったね 」とコメントしている。小原宏裕

監督作品には「幻想夫人図絵(1977)」『縄地獄(1978)』『檻の中の妖精

(1977)』などに出演したが、

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檻の中の妖精では、裕福な宝石商の妻ながら

サディスティックな日本軍憲兵にを拷問を受ける女性を見事に演じた。

西村昭五郎監督の黒薔薇夫人では、日活ロマンポルノSM映画を代表する

2つのシーンがある。一つは、口に漏斗をくわえされられて、大量の水

を強制的に飲まされて、腹が膨らむシーンである。谷は、こういう場合

撮影上のトリックが使われることが多いと指摘しつつ、自分の場合はそう

いうトリックを用いなかったと告白している。もう一つは. ブランディ

ーを大量に体内に流し込まれ、青白い肉体がアルコールに酔ったように赤く

変わるシーンである。この作品は the ultimate woman-as-an-object"

film.賞を受賞している。谷の最後の作品である縄と肌 (1979) も西村

監督の作品であり、団鬼六原作である。この作品には谷と人気を二分した

看板女優の宮下順子も出演している。谷のお別れパフォーマンスとして、

日活は、この批判的されがちなヤクザ路線の映画に例外的に高額な予算を

用意したのであった。

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テーマ : SM
ジャンル : アダルト

ナオミ物語第5章 谷のスタイル

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谷は出演作に対する責任感が強いことで知られており、ひとたび

脚本に納得すれば、どんな極端なSMシーンでも文句を言わず演じ

きった。女優として働いていた12年間、彼女はビーチに行くこと

もなく、少しでも日焼けするかもしれない機会は徹底的に避けた、

と告白している。それは、女優として、常に非常に白い肌を維持し

鞭打ちや色つき蝋燭責めなどの際に、それらの効果を際立たせる

ためだったというから驚きである。1998年に谷は「女優としては

女性の裸体を官能的なオブジェクトとして見せるだけでは駄目で、

情念を表現できるようにしなくてはなりません。それで、私は谷

ナオミという女優の肉体を完璧な状態にできるだけ近くするため

に一生懸命でした。」と語っている。 映画に出演中に官能を感

じたことはなかったか、と問われるたびに、谷は演技の裏にある

芸術性を強調し、実際に性的恍惚状態にある女性の表情は官能

むしろ滑稽に見えるだろうと言った。彼女の言葉によれば、

「女優は自分ではなく、観客を興奮させなくてはならないのです。」 

そしてこうも付け加えた。「どうしたら観客の共感を得られるか、

私は谷ナオミの責めのシーンを担当する係りの人たちと真剣に話し

合いを重ねて、そのシーンが単に残酷であるばかりでなく、美

失わないようにすることに努めたのです」。そしてひとたび同意が

られれば、それがどんなに身体的に困難なものであってもなんとか

それを成し遂げる強い意志を谷は常に失わなかった。そのことが、

すでにご紹介したような、山本進也監督の有名な一言「谷ナオミ、

ありゃ化け物だよ」につながるのだ。

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彼女の演技力は、日本映画の主流をなす人々にも認識され、日本

映画の最高峰である日本アカデミー主演女優賞に2回、いずれも日活

ロマンポルノ作品でノミネートされている(黒薔薇昇天(1975)および

薔薇の肉体(1978))

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小沼 丹監督は女優谷ナオミを評して、「とにかく

特筆すべきは様式美だ。何の役を演じても、どんな仕草をしても、

その肉体と姿勢は少しも変わらず揺るがなかったー、すべてが完璧

な画像になった。」と述べている。Ian Burumaは、谷を その時代の

最も素晴らしいポルノスターとして紹介し、「猥雑さと神聖な母性の

結合」とみなしている。彼女の人気は、ふくよかな胸を上品な着物に

隠す、日本の母親にように見えることにあるという。大多数の男性に

とって、彼女は病気の男の子がその母親を求めるように、理想的な崇

拝の対象だったというのだ。彼女は緊縛された大地母神の化身であり

、未成熟な青年男性を救済するべく十字架を背負わされた救世主だった。
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山々田花子

Author:山々田花子
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